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川上神社(かわかみじんじゃ)
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淳和天皇の御代天長八年(831)辛亥九月十五日、肥後国佐賀郡川上村鎮座の川上大明神より、御祭神淀姫命(與止女神)の神霊を旧八代村宮田の地に勧請し鎮座した。旧称川上大明神という。その後天明八年(1788)戊申八月十六日、日向国高岡郷浦之名鎮座の川上大明神より神功皇后他八柱の神霊を合祀する。
棟札によれば、文明四年(1470)三月二十七日藤原(伊東)祐堯同祐国公、永正六年(1509)十二月十八日藤原尹祐公、天文十九年(1550)藤原義祐公より造営再興が繰り返されており、都於郡城主伊東氏の厚く尊崇する神社であった。明治九年六月十八日旧八代村宮田の地より、現在の川上の地に遷宮鎮座、川上神社と改称し、明治四十年二月神饌幣帛料供進社に指定された。
境内神社には、肥後の菊池より勧請と伝える大将軍神社(祭神 武甕槌命、経津主命、大山祇命)がある。
特殊神事としては、例祭日の神楽、秋祭りには五穀豊穣の感謝の意味をこめ、氏子たちが踊りを奉納する。
○御社殿について
昭和十五年二月二十日、新しく御造営なされたのでありますが、六十年余りの年月を経る間に老朽化がすすみ、また白アリの被害も目立つほどになり、幾度となく話し合いをなし、平成十二年九月、建設委員会を設立し、同年十月、氏子二百八十八戸の同意を得て、一戸当り拾万円を出資していただき拝殿のみ改修という事で決定したのであります。
平成十四年十一月 改修奉告祭(秋の大祭後)
平成十五年十一月十四日 竣工祭(秋の大祭にあわせて)
棟札によれば、文明四年(1470)三月二十七日藤原(伊東)祐堯同祐国公、永正六年(1509)十二月十八日藤原尹祐公、天文十九年(1550)藤原義祐公より造営再興が繰り返されており、都於郡城主伊東氏の厚く尊崇する神社であった。明治九年六月十八日旧八代村宮田の地より、現在の川上の地に遷宮鎮座、川上神社と改称し、明治四十年二月神饌幣帛料供進社に指定された。
境内神社には、肥後の菊池より勧請と伝える大将軍神社(祭神 武甕槌命、経津主命、大山祇命)がある。
特殊神事としては、例祭日の神楽、秋祭りには五穀豊穣の感謝の意味をこめ、氏子たちが踊りを奉納する。
○御社殿について
昭和十五年二月二十日、新しく御造営なされたのでありますが、六十年余りの年月を経る間に老朽化がすすみ、また白アリの被害も目立つほどになり、幾度となく話し合いをなし、平成十二年九月、建設委員会を設立し、同年十月、氏子二百八十八戸の同意を得て、一戸当り拾万円を出資していただき拝殿のみ改修という事で決定したのであります。
平成十四年十一月 改修奉告祭(秋の大祭後)
平成十五年十一月十四日 竣工祭(秋の大祭にあわせて)

ご社殿

入口鳥居

大将軍神社
地図 [KML] [地図表示] | |
電話番号 | (0985)75-8267 |
郵便番号 | 880-1223 |
住所 | 宮崎県東諸県郡国富町八代南俣2087 |
御祭神 | 淀姫命(よどひめのみこと) 崇神天皇(すじんてんのう) 神功皇后(じんぐうこうごう) 彦陽彦隅命(ひこひひこすみのみこと) 大彦霊命(おおひこのみたまのみこと) 彦座命(ひこいますのみこと) 息長宿禰命(おきながすくねのみこと) 大筒直稚命(おおつつなおすくなのみこと) 稲筒城命(いなつつしろのみこと) 大友武将(おおとものたけまさ) |
旧社格 | 村社 |
御神徳 | |
社殿 | 本殿(入母屋造)4坪 拝殿(入母屋造)10.31坪 ※拝殿は平成15年11月14日改修竣工 |
創立年月日 | 天長八年(831)九月十五日 |
例祭日 | 十一月十四日 |
主な祭典 | 夏祭 旧六月十八日 |
文化財 | |
駐車場 | 有り |
最寄ICからのアクセス | 西都ICより車で約30分 |
最寄駅からのアクセス | JR宮崎神宮駅より車で約40分 |
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