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八幡神社(はちまんじんじゃ)村所八幡神社
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正平十二年(1357)丁酉征西将軍懐良親王鎮座に下り、八代郡小野に薨ぜられた歳、一王子があった。爵松丸と称せられ、のち良宗親王と称した。以後争乱相つぎ賊威益々盛んであったので、米良石見守重為公(本姓菊池氏米良に潜居後天氏又は米良氏と称する)良宗親王を奉じて米良山に潜居した。その間に懐良親王のためにこの社を創建し、大王宮と号した。良宗親王を小大王と称し、重為六世の孫米良弥太郎重鑑公天正二年(1574)六月再建し、豊前宇佐八幡宮に請うて八幡社号を用いるようになった。明治四年六月社殿の西北、十五町隔てた投の瀬の北岸に鎮座の小大王社(祭神良宗親王)を遷して合祀し、また社殿の東側にあった御社森宮(米良重為公、米良重鑑公)を遷して合祀した。
当社例祭に奉納される米良神楽は、文明三年(1469)天氏重続・重頼の発案で親王を祀る大王宮を建て、将軍が生前好んだ舞を奉納したのが始まりであると言われている。米良神楽の舞い振りは、奈良・平安の大陸文化の影響を受けて、優雅な舞で組み立てられ、支那舞・朝鮮舞が加わる。この神楽は銀鏡、中之又、尾八重、寒川など米良領内にくまなく広まり、今日まで伝わってきている。
当社には注目すべき神面が数面所蔵されており、特に小癋見(こべしみ)と称される鬼面は、県下の能面のなかでも古面として注目され、昭和四十年県の有形文化財に指定された。檜材でつくられたこの面は引き締まった力強い象形で、悪魔を祓う力強い鬼面であるところから、神面として使われてきたのだろうとみられている。
当社例祭に奉納される米良神楽は、文明三年(1469)天氏重続・重頼の発案で親王を祀る大王宮を建て、将軍が生前好んだ舞を奉納したのが始まりであると言われている。米良神楽の舞い振りは、奈良・平安の大陸文化の影響を受けて、優雅な舞で組み立てられ、支那舞・朝鮮舞が加わる。この神楽は銀鏡、中之又、尾八重、寒川など米良領内にくまなく広まり、今日まで伝わってきている。
当社には注目すべき神面が数面所蔵されており、特に小癋見(こべしみ)と称される鬼面は、県下の能面のなかでも古面として注目され、昭和四十年県の有形文化財に指定された。檜材でつくられたこの面は引き締まった力強い象形で、悪魔を祓う力強い鬼面であるところから、神面として使われてきたのだろうとみられている。

ご社殿

正面鳥居

御神木スギ
地図 [KML] [地図表示] | |
電話番号 | (0983)36-1870 |
郵便番号 | 881-1411 |
住所 | 宮崎県児湯郡西米良村村所12 |
御祭神 | 懐良親王(かねながしんのう) 良宗親王(りょうそうしんのう) 米良重為(めらしげため) 米良重鑑(めらしげかね) |
旧社格 | 村社 |
御神徳 | |
社殿 | 本殿(流造)10坪 拝殿(流造)23坪 昭和62年7月31日 神殿、拝殿基礎全面改修、銅板葺替 |
創立年月日 | 文明三年(1469) |
例祭日 | 十二月十九日 ※現在は十二月第二土日 夜神楽奉納 午後7時より翌朝7時まで |
主な祭典 | |
文化財 | 神面 小癋見(こべしみ) 宮崎県指定有形文化財(昭和40年指定) スギ 西米良村天然記念物(昭和21年2月9日指定) 上米良の本山矢村神社にある大スギと並び西米良に現存するスギとしては大変古いものである。 |
駐車場 | 有り |
最寄ICからのアクセス | 西都ICより車で約1時間25分 |
最寄駅からのアクセス | |
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