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宮水神社(みやみずじんじゃ)
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勧請年月日は詳かではない。天正十九年(1591)九月三田井越前守親武公が松山の城主高橋元種公に滅され、その首級を元種公の実験に供せんとここまで運んできたが、首級にわかに重くなり動くことができなくなったためにこの地に埋葬した。旧領民は親武公を朝に夕に哀慕追悼したが、享和三年(1803)八月石碑を建立し、くだって天保十五年(1844)に至って神として祭祀したいとの願いを、時の神祗管領吉田家に願い出、親武大明神の神号を許され、安政三年(1856)十一月十五日社殿を創建した。その際袴谷に鎮座していた北山大明神を此処にうつして合祀し、明治初年郷社に列せられ、宮水神社と改称した。北山大明神は大山祗尊を祀り、天正十五年十一月の勧請にして、代々領主の厚く尊崇する社であった。
なお宮水神社にちなんだ次の伝説は、当社の歴史をうかがい知る上で面白いと思われるので紹介しておく。
日之影町宮水に雨社という社祠がある。三毛入野命(高千穂宮の祭神で、十社大明神)が鬼八退治の途中で俄雨にお会いなされたとき、路傍にあった楠の木の洞に御急速になり、雨がやんで再び御出発なさる時、祈念として、自然石二戸を安置された。里人はこの石を神体として三毛入野命を尊崇し、楠木の傍に小社を建て雨社水神と称して厚く尊崇した。この小祠は明治初年宮水神社に合祀されたが御神体の自然石は今なお存しているという。また、七折村に袴谷という所があり、三毛入野尊が俄雨に会った際、袴の裾に付着した泥を洗ったところという。里人はそこに樟を植え大山祗尊を奉祀してきたが、安政二年、この社は宮水神社に合祀されたと伝える。(『日向の伝説』)
なお宮水神社にちなんだ次の伝説は、当社の歴史をうかがい知る上で面白いと思われるので紹介しておく。
日之影町宮水に雨社という社祠がある。三毛入野命(高千穂宮の祭神で、十社大明神)が鬼八退治の途中で俄雨にお会いなされたとき、路傍にあった楠の木の洞に御急速になり、雨がやんで再び御出発なさる時、祈念として、自然石二戸を安置された。里人はこの石を神体として三毛入野命を尊崇し、楠木の傍に小社を建て雨社水神と称して厚く尊崇した。この小祠は明治初年宮水神社に合祀されたが御神体の自然石は今なお存しているという。また、七折村に袴谷という所があり、三毛入野尊が俄雨に会った際、袴の裾に付着した泥を洗ったところという。里人はそこに樟を植え大山祗尊を奉祀してきたが、安政二年、この社は宮水神社に合祀されたと伝える。(『日向の伝説』)

ご社殿

参道鳥居

三田井家供養塔
地図 [KML] [地図表示] | |
電話番号 | (0982)87-2751 |
郵便番号 | 882-0401 |
住所 | 宮崎県西臼杵郡日之影町七折9246 |
御祭神 | 大山祗神(おおやまつみのかみ) 三田井越前守親武公(みたいえちぜんのかみちかたけこう) 八幡大明神(はちまんだいみょうじん) 菅原道真公(すがわらみちざねこう) 月読命(つきよみのみこと) 愛宕将軍(あたごしょうぐん) 稲荷大明神(いなりだいみょうじん) 逆巻大明神(さかまきだいみょうじん) |
旧社格 | 郷社 |
御神徳 | |
社殿 | 本殿(流造)3坪 拝殿15坪 |
創立年月日 | 不詳 |
例祭日 | 四月三日 |
主な祭典 | |
文化財 | |
駐車場 | |
最寄ICからのアクセス | 北方ICより車で約30分 |
最寄駅からのアクセス | |
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