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島野浦神社(しまのうらじんじゃ)
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市の北東部南北浦海岸の福崎の東方海上約1.5㎞にある島野浦島内に鎮座する。
創建年月日は詳らかでないが、綿津見命を祀り、旧称を八竜王ともいい、綿津見神社とも称していた。
「島野浦沿革誌」では、正徳三年(1713)十一月五日と記す。その存在が確認できる最も古い記述は、延岡藩主が牧野氏から内藤氏へと交替した、延享四年(1747)に作成された「神社拝殿森境内書上帳」で、八大龍王を中心に、愛宕・塩釜大明神の三社を祀っている。
社殿は、天明元年(1871)正月晦日に発生した火災により、島内四十一軒の住宅と共に焼失したことが知られるが、いつの頃か再興され、明治四年十一月、字地下の恵比須神社(祭神、事代主命)、字地下の厳島神社(祭神、厳島姫命)、字白浜の愛宕神社(祭神、軻遇突智命)、字白浜の塩釜神社(祭神、塩土翁命)を合祀して、島野浦神社と改称し、村社に列せられた。
現存する社殿は明治二十年、再び火災のため社殿が焼失したが、拝殿の屋根を支えるように彫刻された力士の姿などからなる。明治二十九年の再興部分と、昭和五十六年(1981)の改築部分からなる。拝殿の社号標は、旧延岡藩主・内藤政擧が記したものである。
創建年月日は詳らかでないが、綿津見命を祀り、旧称を八竜王ともいい、綿津見神社とも称していた。
「島野浦沿革誌」では、正徳三年(1713)十一月五日と記す。その存在が確認できる最も古い記述は、延岡藩主が牧野氏から内藤氏へと交替した、延享四年(1747)に作成された「神社拝殿森境内書上帳」で、八大龍王を中心に、愛宕・塩釜大明神の三社を祀っている。
社殿は、天明元年(1871)正月晦日に発生した火災により、島内四十一軒の住宅と共に焼失したことが知られるが、いつの頃か再興され、明治四年十一月、字地下の恵比須神社(祭神、事代主命)、字地下の厳島神社(祭神、厳島姫命)、字白浜の愛宕神社(祭神、軻遇突智命)、字白浜の塩釜神社(祭神、塩土翁命)を合祀して、島野浦神社と改称し、村社に列せられた。
現存する社殿は明治二十年、再び火災のため社殿が焼失したが、拝殿の屋根を支えるように彫刻された力士の姿などからなる。明治二十九年の再興部分と、昭和五十六年(1981)の改築部分からなる。拝殿の社号標は、旧延岡藩主・内藤政擧が記したものである。

ご社殿

島野浦島

けんか神輿(秋季大祭)
地図 [KML] [地図表示] | |
電話番号 | (0982)43-0050 |
郵便番号 | 882-0096 |
住所 | 宮崎県延岡市島野浦町観頭549 |
御祭神 | 綿津見命(わたつみのみこと) 塩土翁命(しおづちのおじのみこと) 事代主命(ことしろぬしのみこと) 軻遇突智命(かぐつちのみこと) 厳島姫命(いつくしまひめのみこと) |
旧社格 | 村社 |
御神徳 | |
社殿 | 本殿(神明造)3坪 拝殿(破風造)9.83坪 |
創立年月日 | 不詳 |
例祭日 | 十二月五日 |
主な祭典 | 十一月 秋季大祭 一日目 よどん晩(前夜祭)、夜神楽 二日目 けんか神輿 他 |
文化財 | |
駐車場 | |
最寄ICからのアクセス | 須美江ICより浦城港へ車で約15分 |
最寄駅からのアクセス | JR延岡駅より浦城港へ車で約20分 |
船 | 浦城港〜島野浦島 高速艇10分 フェリー20分 |
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