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下伊福形神社(しもいがたじんじゃ)
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治承三年(1179)、高倉天皇の御宇、領主土持相模守田部栄綱公の時勧請したもので、当村字無田に鎮座して、大将軍社と称していた。
往古より、下伊福形の産土大神と尊崇して、祭祀や造営等怠ることなく仕えてきたのであるが、嘉永四年(1851)三月社殿を焼失し、安政四年(1857)九月二十八日現在の地に新築し、正遷座を行った。
明治四年三月四柱神社と改称し、明治五年三月、同村字菖蒲田の大年神社(祭神、大年之神)、同村字小ヶ倉の日枝神社(祭神、大山祇神)、同村字無田の霧島神社(祭神、彦火火出見神)、同村字一ヶ岡の水神社(祭神、罔象女之神)等を合祀して、四柱神社の社号を下伊福形神社と改称し、村社に列せられ、明治四十年二月九日には神饌幣帛料供進指定社に定められた。
なお一ヶ岡水神社は明治十三年十二月二十三日付にて復社の許可を得、旧社地に遷座し、無格社水神社と称して独立していたが、明治四十一年七月二十八日に再び許可を受けて、再度、本社に合祀したものである。
昭和四十七年には、開けゆく氏子区域にあって神社も造営され、大規模住宅団地の新しい氏子と共に、新しい形態の祭りも執行されて発展していたが、昭和六十年二月二十八日子供の火遊びのため炎上、本殿、拝殿を焼失した。
現在の社殿は昭和六十二年十一月二十三日竣工。
往古より、下伊福形の産土大神と尊崇して、祭祀や造営等怠ることなく仕えてきたのであるが、嘉永四年(1851)三月社殿を焼失し、安政四年(1857)九月二十八日現在の地に新築し、正遷座を行った。
明治四年三月四柱神社と改称し、明治五年三月、同村字菖蒲田の大年神社(祭神、大年之神)、同村字小ヶ倉の日枝神社(祭神、大山祇神)、同村字無田の霧島神社(祭神、彦火火出見神)、同村字一ヶ岡の水神社(祭神、罔象女之神)等を合祀して、四柱神社の社号を下伊福形神社と改称し、村社に列せられ、明治四十年二月九日には神饌幣帛料供進指定社に定められた。
なお一ヶ岡水神社は明治十三年十二月二十三日付にて復社の許可を得、旧社地に遷座し、無格社水神社と称して独立していたが、明治四十一年七月二十八日に再び許可を受けて、再度、本社に合祀したものである。
昭和四十七年には、開けゆく氏子区域にあって神社も造営され、大規模住宅団地の新しい氏子と共に、新しい形態の祭りも執行されて発展していたが、昭和六十年二月二十八日子供の火遊びのため炎上、本殿、拝殿を焼失した。
現在の社殿は昭和六十二年十一月二十三日竣工。

ご社殿

正面鳥居

手水舎
地図 [KML] [地図表示] | |
電話番号 | (0982)37-0041 |
郵便番号 | 889-0505 |
住所 | 宮崎県延岡市北一ヶ岡4丁目4-129 |
御祭神 | 磐長姫神(いわながひめのかみ) 軻遇突知神(かぐつちのかみ) 雷之神(いかずちのかみ) 大山祇神(おおやまつみのかみ) 大年之神(おおとしのかみ) 彦火火出見神(ひこほほでみのかみ) 罔象女神(みずはのめのかみ) |
旧社格 | 村社 |
御神徳 | |
社殿 | 本殿(流破風造)4坪 拝殿(流造)9坪 |
創立年月日 | 治承三己亥年(1179) |
例祭日 | 十一月二十八日 |
主な祭典 | 秋の大祭 十一月三日 |
文化財 | |
駐車場 | |
最寄ICからのアクセス | 延岡南ICより車で約10分 |
最寄駅からのアクセス | JR旭ヶ丘駅より車で約5分 |
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