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野島神社(のしまじんじゃ)
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文安三年(一四四六)十二月三日、田口久次が創立したその棟札に『白髭大明神の御堂を造り奉る趣旨は、金輪聖皇・天長地久国土泰平、殊には信心願主田口久次のため、武運長久子孫繁昌・領内安全・五穀豊穣・並びに氏子等の無病自在・寿命長遠・家内安穏・福責増長・諸人授楽・よろず心中の祈願悉く皆満足せしむるのみ、よって精誠を致し造立奉る』とある。
また、旧飫肥藩制中は社領三石一斗が寄進されている。明治五年野島神社と改称、天神山にあった大将軍社、竹下にあった年ノ神社、堀切峠にあった三池神社を合祀し、村社に列せられた。
伝説(縁起)
野島神社には童話に出てくる浦島太郎のそっくりの伝承民話がある。
それは、天歴三年(九四九)八月に遡のぼる。野島の浦人橘尊俊という者、この浦辺で長い白髪の老人に出会った。その老人が『私は、丹州の者であるが、久しく蓬莢山に住み、たまたまこの浦に来、この絶景を眺め去るに忍びなくなった。ここに私を祀っていただきたくなら幸いである。』と言って消え去った。尊俊は村人と相談の上、社を建てて祀ったのがこの社であると言われている。
また、浦島子伝及び扶桑略記載には、『浦島翁が古里の丹州与謝郡に祀ってあるのを見聞したことはない』とあり、物語の最後が前記伝説と結びつくのである。
また、旧飫肥藩制中は社領三石一斗が寄進されている。明治五年野島神社と改称、天神山にあった大将軍社、竹下にあった年ノ神社、堀切峠にあった三池神社を合祀し、村社に列せられた。
伝説(縁起)
野島神社には童話に出てくる浦島太郎のそっくりの伝承民話がある。
それは、天歴三年(九四九)八月に遡のぼる。野島の浦人橘尊俊という者、この浦辺で長い白髪の老人に出会った。その老人が『私は、丹州の者であるが、久しく蓬莢山に住み、たまたまこの浦に来、この絶景を眺め去るに忍びなくなった。ここに私を祀っていただきたくなら幸いである。』と言って消え去った。尊俊は村人と相談の上、社を建てて祀ったのがこの社であると言われている。
また、浦島子伝及び扶桑略記載には、『浦島翁が古里の丹州与謝郡に祀ってあるのを見聞したことはない』とあり、物語の最後が前記伝説と結びつくのである。

神社正面

ご社殿

神楽
地図 [KML] [地図表示] | |
電話番号 | (0985)67-1234 |
FAX番号 | (0985)67-1234 |
郵便番号 | 839-2301 |
住所 | 宮崎県宮崎市大字内海6227 |
御祭神 | 塩筒大神(しおずつのおおかみ) 猿田彦神(さるたひこのかみ) 上筒大神(うわつつおのかみ) 中筒大神(なかつつおのかみ) 底筒大神(そこつつおのかみ) |
旧社格 | 村社 |
御神徳 | |
社殿 | 本殿(流造)1坪 拝殿6坪 |
創立年月日 | 文安三年(1446)12月3日 |
例祭日 | 春の例祭 3月20日 秋の例祭 11月23日 |
主な祭典 | |
文化財 | 榕樹(アコウ) 国指定天然記念物(昭和16年10月3日指定) 野島神楽 宮崎市無形文化財(平成25年11月) |
神楽 | 500年の伝統を誇り、伊勢神楽の系統で「降臨の舞」と「里舞」とで成り立ちます。古くより加江田神社と共演していましたが、寬文2年の外所地震以降、野島に残し継がれ、33番のうち22番程伝承しています。 |
駐車場 | |
最寄ICからのアクセス | 宮崎ICより日南方面へ約25km |
最寄駅からのアクセス | JR小内海駅より徒歩3分 |
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