宮崎神青ブログ - 最新エントリー

再考、氏神さま

カテゴリ : 
その他
執筆 : 
office 2017-1-23 17:07

改めまして、というのも遅くなりすぎた感もございますが、

あけましておめでとうございます。

皆様方には健やかに新年をお迎えのことと存じます。

本年もどうぞ宜しくお願い致します。

 

さて、正月のことですが、このようなご相談をうけました。

 

その方は神棚に氏神さまの御札もお祀りすると言うことをお聞きし、

初めて授与されたそうです。

 

しかしながら、それから嫌な事があったのか、どうも心地が宜しくなく

御札をお返ししたいのですが、失礼になりませんか?との問いでありました。

 

また、鎮座地や氏神さまの雰囲気も、どうも本人とってはあまり心地よいものでは

なかったそうです。

 

もちろん、どうぞお返しくださいとは言いません。

 

新年早々に嫌な事が続いたかもしれませんが、折角お祀りされたのですから、

もう少し様子をみられては如何ですか?

それでも、どうしてもと言うことであれば、直接宮司様とお話をしていただいては

如何ですか?

 

確かに宮司様の中には、多い方では20数社兼務されており、

常に足を運ぶことが難しいのが現状かもしれません。

そんな中にあっても、あらゆる面で地域の方々のお力添えをいただきながら

今日に至っているのであります。

少しでも氏神さまのことにつきまして、お力添えをいただければ

非常に有難いのですが・・・

お答えしました。

 

また、正月前には初詣特集ということで取材を受けましたが、

最近では、ご利益に特化した形で神社や御守が紹介されるケースが多く、

どうも祈りというものが、利己的なものになっているように感じます。

 

もっと広い大きな意味で氏神さまを考えていただければと思うばかりであります。

 

本年も当会は、各氏神さまのご繁栄への一助となるべく諸事業を展開していきたく存じます。

皆様方には、ご理解ご協力、ご指導ご鞭撻を賜りますよう、宜しくお願い申し上げます。

 

あけましておめでとうございます

カテゴリ : 
その他
執筆 : 
office 2017-1-1 0:05

良いお年を

カテゴリ : 
活動報告
執筆 : 
office 2016-12-29 14:26

平成29年の厄年、年祝いの一覧です。

節目の年に当たりますので、祈願をお受けいただきまして、これからも清々しくお過ごしになられますようお祈り申し上げます。(厄年についてはこちら

◎平成29年厄年一覧

女   性 男   性
前厄 本厄 後厄 前厄 本厄 後厄

平成12年生

18歳

平成11年生

19歳

平成10年生

20歳

平成6年生

24歳

平成5年生

25歳

平成4年生

26歳

昭和61年生

32歳

昭和60年生

33歳

昭和59年

34歳

昭和52年生

41歳

昭和51年生

42歳

昭和50年生

43歳

昭和57年生

36歳

昭和56年生

37歳

昭和55年生

38歳

昭和33年生

60歳

昭和32年生

61歳

昭和31年生

62歳

※年齢は数え年です。(平成29年になる歳に1歳足して下さい。)

※誕生日に関わらず1年間が厄年にあたります。

※厄年の3年間を無事に過ごされたことを、神様に奉告し感謝する厄明奉斎(御礼参り) も受け付けています。

 

平成29年年祝い一覧 

祝名 意味 年齢 生まれ年
還暦(かんれき)  生まれた年と同じ干支が巡ってくる年   61歳    昭和32年生
古希(こき)  杜甫の「人生七十古来稀なり」という一節にちなんだもの   70歳  昭和23年生
喜寿(きじゅ)  「喜」を略字で「七十七」と書くことから   77歳  昭和16年生
傘寿(さんじゅ)  「傘」を略字で「八十」と書くことから   80歳  昭和13年生
米寿(べいじゅ)  「米」を分解すると「八十八」と書くことから   88歳

 昭和5年

卒寿(そつじゅ)  「卒」を略字で「卆」と書くことから   90歳

 昭和3年

白寿(はくじゅ)  「百」から一を取ると「白」という字になることから    99歳  大正8年生

お祝いの年を無事に迎えられたことに感謝し、これからも清々しくお過ごしになられますようお祈り致します。

 

※必要な方はご利用ください。

・厄年表はこちら→PDFファイル

・数え年表はこちら→PDFファイル

・干支早見表はこちら→PDFファイル

今年の漢字

カテゴリ : 
活動報告
執筆 : 
office 2016-12-24 15:41

去る12月20日、当会忘年会を開催致しました。

 

とは言っても、全員とゆっくり話す時間も無いしなぁ・・・

 

そ・こ・で!

平成28年を漢字一文字で表現していただきました。

 

 

 

                              神主一年生。

 

 

                              家族になろうよ。

 

                              そして父となる。

 

 

さらに2児の父となる。

 

みんながいるじゃないか!                      鳴くまで待とうホトトギス。

 

新天地。                                 神楽三昧。

 

見つけにくいものですか?                      ブレるなよ!

 

ついて行けた!?                           サーファー?

 

一本足して”幸”に。                          苦しまなければ喜びはない。

 

改めて自然の恐ろしさを。                      逃げ恥?

 

100人できたかな?                         全ては会長の為に。

 

いよいよ前厄。                            カムトゥルー。

 

 

前進あるのみ。                            時には退くも良し。

 

届いた?                                思い残すことはないね。                            

 

何よりです。                              また来年も!

 

みんなありがとう。                          みんなゴメンナサイ・・・

 

何だか皆がそれぞれに生きてるんだなぁと改めて考えさせられました。

 

本年が良かった人、あまり良くなかった人とそれぞれでしょうが、

年の最後に皆が集い、終始笑い声の絶えないひとときを過ごせることは

本当に有難いものです。 

 

さぁいよいよお正月。

賑々しい氏神さまのご社頭にて、健やかに新年をお迎えいただきますよう

心からご祈念申し上げます。

 

良いお年を!

女子神職の育児奮闘記です。

約1年ぶりの投稿になります。(前回はこちら

ではクリスマス問題編のはじまりはじまり・・・

 

早いもので、今年も残りわずかとなりました。

 

この時期にちょっと話題になることがある。

それは、『神主さんのクリスマス』
お坊さんのおうちでも同様だとか・・・
 

神社の子供の宿命とも言える、小さい頃からよく聞かれる質問がある。


「ふーちゃんちってクリスマスあると???」


「ツリーは、・・・あるよ(✧≖‿ゝ≖)ドヤァ」 (もらいもの・・・)
 

「ケーキも、・・・あるよ(✧≖‿ゝ≖)ドヤァ」 (毎年、親戚の関係で買っている・・・)

「え━━━(゚o゚〃)━━━!!!ふーちゃんち神社やろ!」

そして、この手の質問は母となった今も続く。
「おかあさ~ん、うちはクリスマスプレゼントなんでないと?」

「うちは神道だから(✧≖‿ゝ≖)ドヤァ」

 

と言うか、旦那さんの家も私の家もそういう習慣なかったし・・・

しかしながら、八百万の神々が坐します日本は海の外から来られた神様も尊び敬ってきた。

これは日本の文化だと思う。
お葬式でも、亡くなった方の信仰していた宗教にあわせ拝み故人を偲ぶ。
宗教はそれぞれだが偲ぶ心は同じ。
明治以前は「生きているうちは神社、おくりは仏」との言葉があり、

私の御先祖様も、明治以前は仏様のおちからによって黄泉の国へと旅立っただろう。

私が子供を宗教園に入園させたのも、どの宗教かというより、どの宗教でも敬い尊べるかが

人や物、目に見えぬもの全てに対する思いに繋がっていくのではないかなとの思いからである。

 

そしてさらに子供から、

「おかあさん、知ってる?サンタさんはお父さんとお母さんなんだよ!」

 

え!? 

 

どうもお友達情報らしいが、もはや宗教がどうのこうのではない・・・

 

「へぇ~・・・そうなの?」

 

他の家庭に影響を及ぼしかねないので下手なことは言えない。

そんなこんなで、行き着いたクリスマスプレゼントの問いへの答えは、
「クリスマスは、イエスキリスト様のご聖誕を祝うものでプレゼントをもらうイベントではない、

教会にいってお祈りしてきなさい!」

 

どうやら納得してくれた様子(;≧∇≦) =3 ホッ

ついこの間、妹から相談がきた。

「お姉ちゃん、子供からなぜうちにクリスマスプレゼントが来ないか聞かれたけどなんて答えてる?」

 

逆に何と答えたのか聞いたところ、

「○○くんちはお金持ちだからクリスマスプレゼントあるけど、うちは貧乏だからないよ。」

と、答えてしまったらしい。


いっそのこと、

「よそはよそ、うちはうち」の方がマシだったね・・・

 

何はともあれ、メリークリスマス!

 

そして、良いお年を<(_ _)>

 

続く・・・

教えて神主さん!㉓~一之宮?~

カテゴリ : 
教えて神主さん!
執筆 : 
office 2016-12-10 10:24

去る12月5日、午前10時より都農町大字川北鎮座される都農神社にて

例祭が斎行されました。

 

私も宮司の随行として、初めて参列させていただきました。

 

従来の申酉祭を改めた祭であり、前日とさらに祭典後に神楽の奉納もあったようです。

 

当会会員の2人も、新天地で神明奉仕に励んでいるようです。

 

12月とは言え、この日の最高気温は約20度・・・

 

約1時間の祭は、厳粛のうちに滞りなく斎行されました。

ご社頭益々のご隆昌と、氏子の皆様のご健勝を心からご祈念申し上げます。

誠にお目出度うございました。 

 

ところで、都農神社は『日向国一之宮』(ひゅうがのくにいちのみや)

 

一之宮ってなんでしょう???

 

一之宮は諸国の国内で、第一の地位を占めた神社であります。
平安時代後半からみられ、平安後期から中世に諸国の神社の中心的地位を占めました。
平安時代においては国司は、任国の国内の主要神社に神拝するのが例になっていました。
また諸国国内の神社の管理・祭祀は国司の任務であり、必要に応じて奉幣などを行うこととなっていました。このような神拝や任務の執行にあたって、便宜上行われた国内神社の序列化が、一之宮の起源ではないかと考えられています。
また、そうした国司の側の主導で成立したというのではなく、諸国国内において自然発生的に生じた神社の序列を国司の側が公認したものであろうとする見方もあります。

 

一之宮はその神社の勢力の推移、その他の理由によって時代により変わった例もあります。
また同等の崇敬を集めていた等の理由により、複数の神社が同時に一宮を称することもありました。さらに時代の推移により、一宮が不明となり数社が一宮と比定されたまま結論が出されないでいる国もあるようです。(神道辞典より)

 

実際に都農神社の神主さんに聞いてみると、

国司がその国に着任した際に、一番最初にお参りする神社が一之宮

との説が有力であるとのことでした。

 

 

当時の日向国の国府は現在の西都市都於郡でありますので、それならば近くに鎮座される

都萬神社が妥当ではないかとも考えられますが、都萬神社は二之宮なのです。

 

では、なぜ都農神社が一之宮に選ばれたのか?

 

①国司が赴任する際に、昔は船でその国に向かっていました。

その船着場が日向国では、現在の日向市美々津であり、そこから国府に向かう際の官道の一番北側にあったから。

 

②国府の鬼門にあたる方角に鎮座されていたから。

 

等々、諸説あるようです。

 

ちなみに、宮崎市に「一の宮町」という地名がありますが、これには恒久神社に関連しているとか・・・

恒久神社は、寛治4年4月、国富の荘園の鎮守として都万の宮を勧請したものです。

「都万の宮」、つまりは都萬神社のこと。

じゃあ、二の宮町やん!と思われるでしょうが、

当時の人々が都萬神社を一之宮と勘違いしていた、なんて話もあるそうです。 

 

話がそれましたが、いずれにしても、両社とも式内社でありますので、少なくとも当時から鎮座されていた歴史の古い神社であることは間違いありません。

 

一之宮は全国に全部で102社、108か所あるそうです。

 

その国の象徴とも言える一之宮。

機会がございましたら、是非お参りされては如何でしょうか・・・

 

あなたの国の一之宮は、どちらですか??? 

知りませんでした・・・

カテゴリ : 
神社からのお知らせ
執筆 : 
office 2016-11-21 10:39

 

去る11月18日、とある会合にて、奈古神社氏子さんより

 

「ホームページ作ったっちゃが!」

 

「・・・ 本当ですか~!!!」

 

というこうとで、本日ここにお知らせ致します。

 

多くの方にご覧いただきまして、

 

ご社頭益々のご隆昌への一助となりますことを、心からご祈念申し上げます。

 

奈古神社ホームーページはこちら

 

 

まえーまえーまえよ

カテゴリ : 
神社からのお知らせ
執筆 : 
office 2016-11-20 10:46

宮崎市内海鎮座の野島神社にて、神楽が奉納されます。

 

平成28年11月23日(水・勤労感謝の日)

正午~午後4時頃まで

 

(野島神社についてはこちら

 

神楽番付

1番

神迎え 神事。前日の深夜に宮司、神職、総代のみで執り行う。
2番 一番舞 祓いの舞。白装束にて舞う。神歌(浦島伝説)を唱える。
3番 二番舞 祓いの舞。白装束にて舞う。静けさがあり優雅な舞。
4番 いれん鬼神 入れん鬼神が降臨し、神と人との遊びと別れ昇神の舞。
5番 星降ろし 八百万の神々を招き迎える舞で、神庭の内外を祓い清める。
6番 花の手 面舞と小舞(小足にて舞)から成り小舞の基となる舞。
7番 素襖ぬき 「たすき」を素襖にみたて、ぬいたり身につける所作の舞。
8番 すだ舞 国生みから国譲りから天孫降臨までの国づくりの舞。
9番 地割り 領地を分ける国づくりを表し、弓と矢で広さを測る舞。
10番 矢抜き 争いの後、国づくりが終わり、矛を納める様を表した舞。
11番 鬼神舞 面を着けずに小学生が舞う七鬼神の舞。
12番 矛舞 「天の沼矛」による国づくりを表した勇壮且つ優雅な舞。
13番 人剣 国譲りにおいて、剣を前に大国主神と交渉した高天原の舞。
14番 岩潜り 太刀の下を潜り、急流で水が岩の下を潜る様子を表す舞。
15番 七鬼神

鬼神(五神)とへぐろ面(二神)から成る七人の福徳の神の舞。

へぐろ面は、へぐろで厄を祓い健康で幸福な円満な生活を

祈念する舞。神社に伝わる「神面七面」すべて揃う神楽。
16番 へぐろ面
17番 杵舞

脱穀用の「杵」は男性を表し、脱穀用の「箕」は、その窪みから女性を表す。

この二つの舞は、生産祈願の神楽で「海幸・山幸」の大漁、豊作と子孫の

繁栄を祈念する舞。

18番 箕どり舞
19番 たちから 天照大神が隠れた天の岩戸を、どう押し開くかを思案している舞。
20番 戸隠し 天の岩戸を取って投げ、現れた天照大神の姿に目がくらむ舞。
21番 たちから 天照大神が出現し、この世の天も地も光明に満ちる様を表す舞。
22番 舞い開き 神楽のフィナーレとなる天力雄命と八百万神たちの歓喜に満ちた舞。

 

 

●備考 

当日は神社境内の駐車場は使用できませんので、臨時駐車場をご利用ください。

PDFファイルはこちら

 

当日は、境内の駐車場エリアにて、木花や檍地域の婦人会による料理のふるまいもございます。

神楽とあわせて、地域の味もお楽しみいただければと思います。

 

皆様のお参りを心からお待ち申し上げます<(_ _)> 

弥五郎さま

カテゴリ : 
神社からのお知らせ
執筆 : 
office 2016-11-20 8:28

11月19日、宮崎日日新聞をめくると何処かで見た顔が・・・

 

当会の佐師副会長が奉仕される日南市飫肥に鎮座される田ノ上八幡神社

『ミニ弥五郎さま完成』と題した記事が掲載されていました。

 

普段、参拝者から「弥五郎さまはどちらですか?」とのお尋ねを多くいただいており、

「何とかしましょう」と弥五郎様保存会より、高さ2㍍の社殿内に収まる大きさの人形を

奉納いただいたそうです。

 

そもそも『弥五郎さま』とはどちら様???

 

隼人の叛乱と放生会

大和朝廷が全国の地方政治をより細かく行って行く為に制定した「養老律令」は、酋長を中心に強固な共同体を組織していた隼人にとっては、中央から派遣された官僚に支配されることは大変な屈辱であった。
そこで、養老四年(七二〇)二月二十九日大隈、日向の隼人らは初代大隈国守・陽候史麻呂を殺害、叛乱を起こしたが、圧倒的な兵力を持つ政府軍の前に隼人の城は次々に落ち最後迄抵抗し続けたが、ついには戦死、捕虜となった。
養老七年(七二三)宇佐の集団は隼人の首を持ち帰り、宇佐神宮の西五〇〇メートル程のところにある松隈に埋めたという。その後、宇佐地方では作物の不作、疫病が流行する。これは 「隼人の乱でたくさんの反乱軍を殺した報いだ」として、隼人族の怨霊を恐れた大和朝廷は全国で放生会を行わせた。その名残の一つが、「弥五郎さま」などの祭事である。

 

南九州に伝わる「弥五郎」まつり

現在、「弥五郎」にまつわる伝統行事は、

①都城市山之口町に鎮座する的野正八幡宮

②鹿児島県曽於市大隈町に鎮座する岩川八幡神社、

③日南市飫肥に鎮座する田ノ上八幡神社

に伝えられている。(上写真は、宮崎神宮御神幸祭「神武さま」にて勢揃いした三兄弟)

 

それぞれ秋の例祭の浜下りに先祓いとして大人人形(弥五郎)が先導し、氏子崇敬者から畏敬されている。

この弥五郎さま(どん)は、放生会の南九州の人々が独自に創出した思いを託す巨大人形であると伝えられている。(上写真は本年の田ノ上八幡神社例祭)

 

弥五郎伝説

弥五郎伝説は、北は都農町、南は鹿児島県志布志市、西は鹿児島県霧島市まで分布され鹿児島県曽於市を中心に伝説跡地が広がっている。その中身は弥五郎が「山を削って一塚が出来た」、「霧島山に三歩で登った」、清武町の荒平山に腰かけて青島で手を洗った」など、弥五郎が大人(巨人)だったことがうかがえる。田上八幡神社では「日向地誌」によると、大隅国桑原郡に稲津弥五郎というものがおり、その地の一宮八幡(現在の鹿児島神宮)の御神体を背負い来て、飫肥の地に祀ったと伝えられている。

 

田ノ上八幡神社「弥五郎さま」

田ノ上八幡神社の例祭は、現在は十一月第二日曜日であるが、本来は十月二十五日、旧暦八月十五日の放生会の祭祀行事が移行したもので神社創始日にあたる。以前は、身の丈約八メートルある弥五郎さまを曳き浜下りを行っていたが、町並み事情が変わり困難になったが、平成元年に渡御用の弥五郎さまをつくり、浜下りを行うようになった。弥五郎さま本体は鳥居正面に立てられ、弥五郎さまの股を歳の数ほど潜ると無病息災の御神徳があると伝えられている。 

 

田ノ上八幡神社は、高さ8㍍と5㍍の人形2体も所有されていますが、

常時拝見できるのは、今回奉納いただいた2㍍の人形です。

 

これからは終日、小っちゃい弥五郎様がお迎えしてくれるそうです。

 

しかしながら股を潜るのは、お控えください(笑)・・・