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宮崎神青ブログ - その他カテゴリのエントリ

いいね!御守り~⑧~

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その他
執筆 : 
sashi 2020-8-3 17:27

今回ご紹介しますのは、

 

児湯地区都農町に鎮座します

 

都農神社の御守りです。

 

御祭神

 大 己 貴 命( 別名 : 大国主命 )

 

由緒

創建されたのは御即位6年前の神武天皇が宮崎の宮を発し東遷の折、此の地に立ち寄り、国土平安、海上平穏、武運長久を祈念し御祭神を鎮祭された事と伝えられる。 旧記によれば、日向国の第一の大社であったが、天正年間の島津・大友の争乱の際、大友氏の兵火により社殿・宝物・古文書等全てを焼失したものの、御神体は尾鈴山麓に避難され難を逃れた。争乱後は長年社殿の再興も無く小さな祠があるのみであった。元禄5年に秋月藩主 秋月種政が再興し、安政6年には篤志家の社殿の寄進があった。その後、社殿の老朽化に伴い平成14年に「御造営奉賛会」が設立され、平成19年7月7日に現在の社殿が竣成されたのである。

 

御本殿

 

御守り

 

御祭神に所縁のあるネズミとウサギは、12支の丑寅(鬼門)の方角を挟み込むように配されていることから、鬼門封じ、また災難封じなどのご利益がある御守りとして人気です。

 

初穂料 700円

 

いいね!御守り~⑦~

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執筆 : 
sashi 2020-7-14 9:20

今回ご紹介しますのは

 

宮崎市に鎮座します 江田神社の御守りです。

 

 

由緒

「みそぎ発祥の地」「祝詞発祥の地」として知られる江田神社。その歴史は非常に古く、10世紀の初期に記された『延喜式』にもその名を見ることができます。 日本最初の夫婦と言われる伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と 伊邪那美命(いざなみのみこと)を祀っており、良縁を願う参拝者が多く訪れます。 同じ敷地内には、伊邪那岐命が黄泉の国で穢れた体を清めるために身を沈めた「みそぎ池」があり、この地で天照大神(あまてらすおおみかみ)、月読尊(つくよみのみこと)、素盞鳴尊(すさのおのみこと)の3神を生み出したと伝わります。 また、強いパワーを持つと言われる御神木が2つあり、1つは社殿左側に植えられた招霊木(おがたまのき)は天岩戸伝説に登場する赤い実をつける木。もう1つは大きなクスノキで、木の下の方にあるコブに触れると強運を得られると言われています。

 

御本殿

 

みそぎ池

 

御守り

 

禊祓とんぼ玉守り

当社御祭神の伊邪那岐尊は、禊を行い黄泉の国で穢れた身体を祓い清めました。

この故事に肖り身体健全・開運厄除の御神徳が込められた御守りです。

 

 

いいね! 御守り ~⑥~

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執筆 : 
sashi 2020-6-14 10:23

 

今回ご紹介しますのは、

 

県南地区  日南市榎原に鎮座します

 

榎原神社のお守りです。

 

御祭神

天照大神

天忍穂耳命

彦火瓊瓊杵命

彦火火出見命

鵜鷀草葺不合命

神日本磐余彦命

 

由緒

万治元年(1658年)、 当時神女として崇められていた内田万寿姫の進言によって 第三代飫肥藩主伊藤大和守祐久公が鵜戸神宮のご分霊を勧請して 代々藩主の崇敬斜ならず爾来官幣大社の鵜戸神宮と並称して 飫肥の御両社とし、藩内護国の鎮守として創建された 古くから縁結びの神様として親しまれ、 境内には樹齢約六〇〇年の大楠(男楠、女楠)が 寄り添うように聳え立つ また、朱塗りの本殿と鐘楼、楼門は 県の有形文化財に指定されている 摂社桜井神社は神女内田萬寿姫を祀る

 

【本殿写真】

 

 

『縁結びお守り』

 

数多の結び事が叶うようにと 紐を結んだ時の形状にしたお守り 桜模様が施してある

 

 

いいね! 御守り ~⑤~

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その他
執筆 : 
sashi 2020-3-14 17:41

 

今回ご紹介するのは、

 

西諸県郡高原町大字後川内に鎮座されいる

 

霞神社のお守りです。

 

神社由緒

 

霞神社は、古くから農業、畜産、商売繁盛、縁結びなどの神様として旧くから知られております。

御祭神は大己貴命、少彦名命、保食命の三御柱を祀る。 天保十四年刊の「三国名勝図会」によれば「・・・五色の蛇ありて、巌隙に栖む、これを神と崇めて、別に祠廟を設けず、是、霧島六所権現の使神なりといへり、故に六所権現へ参詣する者は、必ず茲に参詣せり、参詣の者、彼蛇を見る時は、神縁を得るとて、殊に歓喜すとかや、祭祀三月十五日、九月十五日、祭式には、白砂を供す、文化十二年、大信公(注:島津重豪)、神事を新修して、神徳院別当とし、郡山邑、花尾大権現社の大宮司に命じて、祭祀を管轄せしむ」と当神社について記載されております。

当神社は神仏混淆の修験道と深く関わりを有し、その名残が「霞権現」の名前や、石碑などにその痕跡をとどめることができます。 神仏混淆の修験道は、七世紀頃に始まっており、その後霧島連山を中心とする一帯にも広がり、霧島六所権現と云われる諸社が形成され、当社もその一郭に修験者の縄張りとして修験者達の行動域に組み入れられたと想像できます。 因みに“霞”とは修験道の用語として“縄張り”を意味すると云われております。 「三国名勝図会」にも記されておる様に、当神社には体長三十センチメートルほどの白蛇が御神殿裏の岩窟の中に棲息し、今日でも神縁を得ようと岩の間隙に目をやる参詣者の姿を多く見掛けます。

 

 

霞神社のお守りには全て白蛇が刺繍されています。

 

また正絹という高級な絹を使っているのが特徴です。

 

上記、お守りの初穂料は、1000円です。

 

これから新緑の季節を迎え、境内からの景観は大変すばらしいです。

 

是非ご参拝の上、ご自身に合うお守りを見つけて下さい。

 

 

 

 

いいね! 御守り ~④~

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執筆 : 
sashi 2020-2-25 19:18

今回 ご紹介するのは、

 

生目神社の御守りです。

 

本年度をもって卒会予定の日高会員がご奉仕されています。

 

共に活動は、なかなか出来ませんでしたが、

 

めったいにお会いできないタイプの方です。

 

 

神社由緒

 

生目神社は、宮崎市大字生目にある亀井山と称する丘上に東面して鎮座し、「日向の生目様」と呼ばれる古くから眼病に霊験あらたかな神社との信仰を集める。元亀天正の兵火で資料を焼失し詳かではないが「宇佐大鏡」には天喜四年(1056)に建立されてあったと記されている。昔より眼疾に霊験あらたかなりとして崇敬殊に厚く「日向の生目八幡様」として、広く知られ、九州はもとより、北は北海道、本州から直参祈願される参拝者も多い。 その縁起には種々の説があり、何れを真ともなしえないが 一説には景清公、日向下向に際し居を此地に撰び閉居され生を卒えられた。公の没後、公の活けるが如き霊眼を斉き祀ったこと。 一説には当地は古より霊地として眼疾患者を活かすに不思議に著しき霊験があった。 一説には活目入彦五十狭茅尊(いくめいりひこいさちのみこと)(垂仁天皇)を奉斎した社ともいわれ、御子影行天皇熊襲征伐の途、御父君のご命日に偶々之の地にて御霊祭を営まれたのを住民等が歓迎し聖地として永く奉斎し活目八幡宮と称え奉ったとも伝わる。 明治三年に生目神社と改称、同五年郷社に列し、翌六年には県社に昇格した。

 

 

 

「目出しダルマ」 

               

  努力の芽が出る御利益があります。

頭から穴を覗くと藤原景清公の御姿が見えます。

 

 

 

次回は、都城地区か児湯地区からご案内します。

 

 

 

本年もあと少し

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その他
執筆 : 
sashi 2019-12-23 20:57

クリスマスケーキ!!(10年前にこの場所で披露宴されたそうです)

 

 

久方ぶりの掲載です・・・

 

もうあと1週間で お正月ですね

 

今年は例年よりもインフルエンザが猛威を振るっており

 

当会会員も今月の忘年会で5名ほど感染・・・

 

その後の実行委員会、役員会の決議にぎりぎりの人数

 

各個人、対策はしててもこればっかりは防げません

 

皆様の早期の回復を心より願っています。

 

 忘年会後の1枚(インフル感染源はサンタの神様の烏帽子を握ってる方とのこと)

 

 

 

さて お正月と言えば、皆様 神社に参拝されると思いますが、

 

新年のご参拝は、 先ず氏神神社をご参拝され

 

そして県内の崇敬神社(鵜戸神宮)にご参拝ください

 

 

令和2年は、日本書紀編纂1300年の節目の年

 

宮崎県においては、国民文化祭が開催されるなど 多くの行事が予定されています。

 

令和2年も黒木会長(インフル、5人の父)のもと

 

宮崎県神道青年会会員一同、

 

一致団結して 神社界を盛り上げるべく

 

邁進しますので どうか宜しくお願いします。

 

原稿まだですか・・・

 

いいね! 御守り ~➂~

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その他
執筆 : 
sashi 2019-10-14 10:17

 

御守り紹介 第3弾

 

今回ご紹介するするのは、

 

宮崎県西臼杵郡高千穂町岩戸に鎮座する

 

天岩戸神社の御守りです。

 

御守りの依頼をかけてから約3カ月

 

佐藤副会長よりようやく原稿をもらっての投稿・・・

 

先ずは、神社由緒から

 

 

古事記(こじき)、日本書紀(にほんしょき)等に皇祖天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ)は御弟素盞鳴尊(すさのおのみこと)を御避け遊ばして暫く天岩戸へ御籠り遊ばされた事を記して居ますが、当神社は其の霊蹟天岩戸を斎ひ奉る神社です。

境内社殿の背後断崖の中腹に御窟あり天照皇大神籠らせ給ひし処と伝へ、古より其の御神域を御神体としてお祭り致して居ります。

社殿は東本宮と天岩戸直拝の西本宮と岩戸川の渓谷を挟み相対して御鎮座ましますが東本宮関係の昌泰)年間の記録に天照皇大神、天岩戸より御出ましの節、思兼神其の御手を取りて東本宮の土地に御造営の御社殿へ御鎮りを願ったと記してあります。

弘仁壬辰三歳中秋には三田井候の遠祖、大神大太惟基公霊夢に恐惶して頽廃せる社殿を再興し深く其神明を崇敬したと申します。

又神社に由縁の舞楽として岩戸神楽三十三番の古雅なる手振を宮司社家代々伝へ氏子達習ひ伝へて祭典に奉奏する外、毎年十一月下旬より二月初旬にかけ、各集落において、民家に〆かざりして終夜舞続け黎明に及びて岩戸開きと称するを舞納むる慣習があります。

住時名士の此の地を訪ふ者も多く寛政の奇士高山彦九郎の参詣紀行あり薩摩の歌人八田知紀礼参し、水戸の烈土井上主人義秀等八名参籠して俳句「落つるには 手もなきものよ 蝸牛」を残して居ます。

又大宝の昔京都神祇宮卜部朝臣参拝の記録あり相当古くより中央に認られて居た事が考えられます。

 

 

 

「天岩戸開きの神話に出てくる手力男命様と天鈿女命様の絵が刺繍された御守りです。  天岩戸が開かれて世の中が明るく平和な世界になったことから、開運のお守りとして授与しております。」

 

御初穂料 700円

 

 

後継者北方領土四島交流訪問事業④

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その他
執筆 : 
sashi 2019-10-1 19:36

鳥〇先輩

 

投稿遅くなり申し訳ございません。

 

心なしか文字数減ってきてるような・・・

 

 

~第四話~ 夕食終了後、親睦を深めるため十九時より懇親会を開催するとの通達があり、一旦各自部屋へと戻り入浴などを済ませる。夕刻甲板にて船に掲げた「日の丸」と夕日のコントラストは絶妙。また浴室には窓があり、そこから見える景色は、遥かに広がる水平線・色丹の島影。なんとも言い難い絶景である。

 

 

 

懇親会場に行くと、隊長の買い込んできた大量のビール。各自持ち寄った酒類。テーブルはどこもかしこも酒・酒・酒である。隊長による乾杯の発声は「酒類は大量に買ってきてありますので、皆さん飲んで親睦を深めましょう。ただし、先日お酒の飲みすぎで問題になった隊員がいましたので、くれぐれもそこだけは気を付けて、、、乾杯!!」

確かに。我々の上陸作戦の前に酩酊になって問題になったとか、ならなかったとか、、、。 就寝時刻の二十一時までという規則で懇親会はスタート。いよいよ明日に迫った上陸のためか、みな気持ちの高ぶりを隠しきれない。同じ班以外の隊員とゆっくり話すいい機会であった。熱き想いを抱きし隊員たち。酒の力は偉大である。最初は同じ班同士の隊員ぐらいで飲んでいたのが、三十分もすれば一つのテーブルを何人もで囲み熱い討論を始める。意見は十人十色。しかし根底にある「四島の帰属返還」ここだけは隊員皆の共通の願いであることは間違いなかった。

懇親会の中で語った元島民・得能宏さんの話は実に印象深かった。 得能さんは数年前、色丹島に住むロシア人より一通の手紙を受けっとった。その中には、昔この島に日本人が住んでいたことを知ったロシア人がこの島に住んでいた方と「友達になりたい」と書かれていたそうである。手紙の主は四十代の男性。得能さんは「友達という歳ではないから、親子の契りを交わそう」と返信した。それから時を経て、得能さんとトマソンさん(手紙の主)は北対協主催の交流事業や手紙を通じ親交を深め、親子の契りを交わしたとのこと。本当の親子にはなれないが二人の心は親子として繋がっている。トマソンさんとその息子は得能さんのことを、「日本のお父さん、日本のおじいちゃん」と呼ぶ。

明日上陸の際には岸壁までトマソンさんとその息子が出迎えに来てくれると、意気揚々と話される。切なくも心温まる話に皆惹かれていった。

酒を注げば二時間なんてあっという間である。二十一時頃には用意されたビールは無くなり、持ち寄った地酒ものこり僅か。隊長の締めの挨拶は「明日の分のビールが無くなりました。まさか無くなるなんて思いもしませんでした」とのこと。今回の隊員は相当飲むらしい。隊長飲みすぎてすみません。 いよいよ上陸の朝。起床時間は五時。(根室より距離もあるので色丹島の時計は七時を指す) 甲板に出ると生憎の曇り空。水平線に浮かぶ朝日を期待したが叶わなかった。上陸に際し身を清めようと浴室に向い禊を行う。(けして飲みすぎで気持ち悪いのを取り除こうとしての朝風呂ではありません。) 朝食を済ませ接岸の時を待つ。

 

 

 

岸壁には明らかに体格の違う迷彩服を着たイカツイロシア人が数人。

同室のA君。「やっぱこの人達強いんですかね~?一発ぶん殴ったらどうなるんですかね~?」 いや、やめて、だめ、絶対やめてね、、、おねがいします。 A君はその昔、〇〇帝国大学と呼ばれた大学に通う青年。しかも超がつくほどいい子なんです。さすがに耳を疑った。

さて、いよいよ接岸を終え、隊員番号順に整列しI教官の点呼のままに上陸していく。 隊員番号15番!!

私はいよいよ念願の色丹島上陸を果たした。

 

五話へ続く

 

※三枚目の写真は、懇切丁寧に島の様子を説明下さる得能さんです。

 

 

後継者北方領土四島交流訪問事業➂

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その他
執筆 : 
sashi 2019-8-27 18:36

早くも➂話ですね・・・

 

ちなみに⓾話ぐらいあるそうです。

 

それではどうぞ

 

 

~第三話~

 

根室の朝は早い。日本一早い日の出が見られる場所。六月初旬の日の出時刻が午前三時四十分頃とは想像を絶する。どうせなら朝日を見ようと五時に起床、すかさずホテル内屋上展望台へ直行。まさかの雨・・・。しかも寒い。寒すぎる。

 

朝食会場は七時オープンなので、時間を持て余す。とりあえず小雨なので外を散策してみようとホテル玄関を出ると、Sさんジョギングから帰還。花咲港まで走ってきたとのこと。(先輩、何時に起きて走ったんすか?) ホテル近辺の散策をしていると北方領土返還に関する看板やモニュメントが多い。返還要求運動の先頭に立つ根室の熱き思いに触れる瞬間であった。

併せて標識や看板は日本語、英語、ロシア語で表記されているものも多く、ロシアとの交流も盛んに行われているのだなと実感をした。

 

 

 

六月七日朝八時半、千島会館に集いし六十三名の精鋭はいよいよ出発のときをまつ。二台のバスに乗り込み根室港琴平岸壁へと向かう。狙ったわけではないのだが前席は副隊長である。調査兵団がドラえもんを抱きしめ、声真似で何事かをつぶやいている。気になる。気になる。いや、気にならないわけがない。 「大丈夫ですか?」何度もこの言葉が漏れそうになる。しかし十分ほどの車中ではその問いを口にすることは叶わなかった。

 

根室港琴平岸壁に到着し、隊長による出陣挨拶ののち隊員番号順に乗船となる。鍛えられた隊員はI教官の点呼に大きく短くはっきりと返事し、乗り込んでいく。

 

港には見送りに来てくれた多くの人々。沢山の「いってらっしゃーい」に、隊長の音頭に合わせ「行ってきまーす」と答える。だが、ただ一人だけ「行ってきまーす」がドラえもんの声真似である。しかもスマホにて自撮りしているではないか。意を決し尋ねようとした瞬間、勇気ある青年隊員が「何やってんすか?」我より先に聞いたのである。副隊長すぐさま返答する。「旅するドラえもんという設定で自分のSNSにアップするの!!」。 なるほど。今回は色々な設定がありそうなので、深く考えてはいけないと悟ったわけである。 空港で初めて声真似を聞いた時よりおよそ二十時。そのクオリティは向上している。「練習や努力は嘘をつかない」まさにこのことだと確信した。

 

船は入域検査を行う国後島に向かい進む。それぞれ荷物を手に部屋へ分かれる。四人部屋の船室は広すぎず狭すぎず快適である。部屋を同じくする四人が揃い手身近に挨拶を済ませ、各々荷物を整理し全体集合の船内放送を待つ。メンバーは鹿児島のKさん。三重のH君、福岡のA君。みな人当たりが良く上手くやっていけそうである。 十一時より昼食との船内放送を受け部屋に戻る。食堂兼集会場にてカレーを頂くのだが、これが美味すぎる。おかわりまでしっかりと頂き入域検査に備える。

 

いよい眼前には雄大な自然を誇る国後島が見えてくる。港近辺にはカラフルな建造物が立ち並び、山の麓からは温泉の蒸気らしきものが立ち昇る。

ここで、ロシア側から入域検査担当者が「はしけ」にて近づいてくるので、全隊員に部屋での待機命令が下る。一切部屋から出ることは出来ない。書類審査に費やされた時間およそ一時間半。次に、書類の写真と本人が間違い無いかの確認が始まる。隊員番号順に整列し、確認後そのまま部屋へ戻りまた待機。ロシア側の実効支配を強く感じる瞬間である。

 

入域検査後、食堂兼集会場において事後活動の説明及びロシア語講座が行われる。 今回の通訳同行者は十名。約二時間、言語は勿論、マナーなども学び上陸へ備える。 ロシア語講座の後は、甲板や食堂兼集会場にて隊員との交流を図り夕食を待つ。

 

昼飯喰いすぎで腹へってね~(*_*)

 

 

 

 

四話へつづく

後継者北方領土四島交流訪問事業

カテゴリ : 
その他
執筆 : 
sashi 2019-8-1 20:49

続きが気になって早く投稿してとのお声がありました

 

たぶん・・・

 

それではどうぞ!!

 

~第二話~ オイオイ!マジかよっ!!隊長・副隊長揃ってファンキー過ぎっだろっ!

只ならぬ雰囲気の中始まる作戦会議。司会も目立つ。司会を務めるのは北対協(北方領土問題対策協会)からお越しのI教官。出で立ちハンパない。黒系ストライプスーツに黒いシャツ、角度のエグイ眼鏡(サングラスのときはもっと凄い)。足元に目を向けると、脱走者は絶対に逃がさないと主張する黒いスニーカー(エアー入り)。 俺、来るとこ間違ったのか・・・?(I教官、ほんとは優しくて良い人です)

いやいや、ご来賓席には北対協から鈴木茂雄様、根室市より副市長竹本勝哉様がお越しくださり、出陣へ向けて激励の言葉を頂いた。続いていよいよ隊長による結団宣言の挨拶である。

会場内の緊張は極限に近づく。どのような第一声なのか。胸の鼓動は激しさを増す。 「皆さんこんにちは。今回団長を務める、神戸学院大学教授のOです。」淀みなく遥か遠くまで届きそうな爽やかな声。さすが隊長!声通るな~。

隊長はこの作戦計画を練るにあたり、三つの「継ぐ」を意識したとの事である。

①元島民の想いを次世代に②北対協の紡いできた輪を③友情・友好を この三点の「継ぐ」を心に刻み作戦実行に励めよ、との訓示に心を掴まれる。

そして、この色丹島上陸作戦における最大のミッションが明かされることとなる。 その作戦名は、「第4回アニメ・オタク文化青年サミットin色丹」である。

作戦内容としては、副隊長の本業である漫画イラストによる、ちびキャラ・ゆるキャラを駆使し、お互いの心を近づけ、コスプレショーを行うことにより、更に交流を図るというものであった。

この作戦決行の為、隊長・副隊長は自宅から調査兵団の恰好にて出陣したとの事。 そうか、調査兵団の恰好はコスプレだったのか。胸に溜まっていた澱はきれいに流れ落ちる。(但し、ドラえもんの件については未だ謎に包まれたままである)

訓示は続き、領土の返還ももちろん大事であるが先ずは「心の返還」を成し遂げ、その先にある領土の返還、返還後のビジョンを明確にしていかなければならないと仰せになられた。

最後に声高らかに誓いを立てられる。「ここに令和元年度第三回北方四島交流後継者事業訪問団の結団を宣言する」。この瞬間、任務遂行の日を迎えるまで隊長についていく事を心に誓った。

時刻も六時を過ぎ疲れが見え隠れする。朝八時からずっと移動していることに加え、飛行機の乗り継ぎの都合上昼飯も喰えない状況であったため猛烈に腹が鳴る。事務局席まで腹の音が聞こえたのか咄嗟に五分間の休憩が与えられることとなる。(ホントにタイトなスケジュール。でも早く終わらせ晩飯喰いたい。) 五分の休憩の後、いよいよ元島民である得能さんの講演である。

 

 

色丹島出身の得能氏は、十一歳にして占領という悲劇を味わった。四島への帰還を只管に願い返還運動に力を尽くしてこられた。元島民の平均年齢は八十を超え、更には六割の方が他界してしまったのが現状である。元島民の想いは返還の実現するその日まで必ずや繋いでいかなければならないと決意を新たにした。

得能さんは二年連続語り部として宮崎県へ来県しており、今回の再会はおよそ七ヶ月振りである。会うたびに違う話を考えてこられ、夜は一緒に酒を酌み交わす。宮崎県民会議にとって得能さんは返還へのシンボルと言っても過言ではない。北方領土マスコットであるエリカちゃんに勝るとも劣らない人気である。

得能さんには、今回も特別なネタ(話)を頂けるよう宮崎特産のマンゴーという名の賄賂を渡すことにも成功した。ネタの提供は船中で期待できそうである。

諸手続きを終え、時刻は八時を廻り宿舎前で解散。決起集会の隣席であった鹿児島のKさんと杯を交わしていると、電話番号を聞きそびれ別行動となっていたSさんが同じ店に。日本の最北の地・北海道、その東端の根室にてなぜか南九州三人組は集まったのである。

「北の勝」なる日本酒を酌み交わしつつ、根室の夜は更けていく。

 

 


 

三話へ続く