宮崎神青ブログ - 教えて神主さん!20~八紘一宇?~

教えて神主さん!20~八紘一宇?~

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教えて神主さん!
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office 2015-3-20 14:38

去る3月16日の参院予算委員会での、三原じゅん子議員の発言の中にでてきた熟語。
「八紘一宇」(はっこういちう)
賛否両論あるようですが、そもそも八紘一宇って何???
 


八紘一宇とは
神武天皇ご即位二年前に発せられた「橿原建都の詔」
上(かみ)ハ乾霊(あまつかみ)ノ国ヲ授ケタマヒシ徳(みうつくしび)ニ答ヘ、

下(しも)ハ皇孫(すめみま)ノ正(ただしきみち)ヲ養ヒタマヒシ心(みこころ)ヲ弘メム。
然(しかう)シテ後ニ、六合(くにのうち)ヲ兼ネテ以ッテ都ヲ開キ、

八紘(あめのした)ヲ掩(おほ)ヒテ宇(いへ)トセムコト、又可(またよ)カラズヤ

「紘」とは冠の紐とか縄張りという意味。
「八紘」となると、杭を(四方に)打って縄を張り巡らし、境界を示す意味。
従って、元々の神武天皇詔勅の意味するところは、
上は天つ神(皇祖神・天照大御神)が国をお授けになった御徳に答え、
下は皇孫(天孫・瓊瓊杵尊)が正しきを養われた御心を広めてゆこう。
その後、六合(天地と四方)を統合して都を開き、八紘(天下)を覆って宇(家)となす
ことは、とても良いことではないか。という意味となります。
つまり国民が一家のごとく仲睦まじく暮らせるような平和国家の建設、神武天皇の肇国の
理想が謳われていると言えるでしょう。
「八紘一宇」とは、上記から日蓮在家教団「国柱会」(こくちゅうかい)の田中智学(ちがく)が

大正二年に造語した熟語です。

また、宮崎県にはこの熟語が掲げられた塔が建設されているのをご存知でしょうか???

八紘之基柱(あめつちのもとはしら)
①名  称 八紘之基柱、八紘一宇の塔、現在は平和の塔
②完成年月日 昭和15年11月25日(鍬入式・同14年3月10日、着工同年5月20日)
約1年半で完成。
紀元二千六百年奉祝事業の一環として「紀元二千六百年宮崎県奉祝会」が建設。経費約80万円。
③使用石材  1789個が世界各地から寄せられた。
④塔の高さ  36.4㍍(当時は東京丸の内ビル30㍍を上回る日本一の高さを誇った)
⑤塔の形状  御幣の形をしている(世界中の罪穢れを祓う)
⑥陶  像  各々60㍍。信楽焼。和御魂(工神)、荒御魂(武神)、幸御魂(農耕神)、奇御魂(漁神)
⑦考案者
相川勝六宮崎県知事。
塔の形については、「基柱は罪穢を祓う御幣なのです。この国民総力による御幣を以て吾々自分の罪穢を祓ひ、世界の罪穢を祓ひ、真に八紘一宇の正しき平和確立する。之れ即ち建国の大理想実現のため御幣のかたちを採った所以であります」
(『紀元二千六百年奉祝と県民覚悟』より)

⑧設計者 日名子実三(=ひなこじつぞう、大分県出身、彫刻家)
日本サッカー協会の八咫烏のエンブレムの作者でもある。「八紘之基柱のお話を受けた時「輝く二千六百年に当り多くの彫刻家の中から選ばれた事に感激し、これは天與の使命である。一億の力によって一番よい力を私に與へられたのである」と感じました」とし、「そこで神の御信頼に対して報ひ奉らん事を思ひ、宮崎神宮に詣うで神助を祈りました。其時に御幣を拝した折、何か建築的なインスピレーションを感じました。御幣のみでは建築的に出来ませぬから、五瀬命で楯を建てゝ男叫びなされた事を思ひ楯と御幣の形を併せ、しかも葦牙の如萌え騰る感じを表はしたのです」(「散華」)と書いている。

⑨揮毫
昭和天皇の弟宮・秩父宮雍仁親王殿下のご親筆。英国留学で面識のある相川勝六知事が殿下に直接依頼。「手習いせねばならない」との殿下の申し出を受けて、福井県今立村の岩野平三郎謹製「越前鳥子紙」を百枚送付したところ、後日戻ってきたのは僅か二十枚程であったというエピソードを残している。

⑩奉仕者数
「祖国振興隊」(昭和12年11月18日結成)隊員延べ65000名にも及ぶ奉仕団の献身的な奉仕作業があった。全国からの視察も多く、宮崎県の祖国振興隊は国民精神総動員運動の「全国的典型」となった。

⑪塔の内部
吹き抜けになっていて、入口正面に「厳室」(いつむろ)と呼ばれる祭壇が設置され「八紘一宇」のご真筆が掲げられていた。また現在も「天孫降臨の図」、「国土奉献の図」、「鵜戸の産屋の図」、「神武天皇即位の図」、「明治天皇東京遷都の図」、「地球太平洋の図」、「地球大西洋の図」、「民族協和の図」の8枚の石膏レリーフが壁面に張り巡らされている。天孫降臨から始まる日本の国柄を表象するもので、「東京遷都」を挟んで「八紘一宇」に込められた民族協和の理想が表現されている。

「八紘一宇」の熟語は戦後、国威発揚のスローガンとされて昭和21年「神道指令」によって「大東亜戦争」などの呼称と共に使用禁止となりました。
塔正面の「八紘一宇」の文字は取り剥がされ、更には「荒御魂像」(武神像)、日高重孝の「定礎の辞」(塔正面扉左)、「大日本国勢図」(塔裏)は撤去。また塔内のご親筆も除去。一時はロッククライマーの練習場となるなど荒廃。昭和37年10月5日「武神像」が、また同40年1月28日には「八紘一宇」の文字が復元されました。

現在では「平和の塔」と改名し、多くの観光客や市民の憩いの場として賑わう場所となっています。
 

「言葉が独り歩きして」と言われますよう、言葉とは発した側の意図に関わらず、受け取る側の人間、その立場、時代等によって、意味、使われ方が変わってきます。

 

「八紘一宇」

我々神職は、言葉に込められた真の意味を理解し、護持していかなければなりません。

 

神武天皇様は如何なる思いで居られるのでしょうか・・・

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